かつて日本が、これほどの個人主義の国になったことがあったでしょうか。今や日本という国は、以前には当たり前だったことが出来なくなっているのです。個人主義というものは、恐ろしい病です。個人主義の最も恐ろしい所は、誰もが同じ原則に従わなければならなくなることです。それゆえ、個人主義は無言の専制であるということが出来ると思います。そもそも個人主義は、合理的かつ効率的な個人という存在を大前提としています。しかし、実際にはそのような人間など存在しません。そのような個人像は、人間の頭の中だけで作り上げたものであり、一種の虚構(フィクション)に他なりません。実際の行動を、頭の中だけで作り上げたフィクションに合わせようとすると、無理が生じるのは当然です。そう考えると近代以降のあらゆる合理主義的な思想は、実際の行動を人間の作った虚構に合わせていく過程でしかないのです。そのような過程に、希望や歓びという概念は必要ないのでしょう。しかし、何故この世に生まれてきたのかを考えてみれば、私たちには希望や歓びといったものこそが必要だということがすぐに分かります。生きていれば辛いことや苦しみが待ち受けている。では何故私は、この世に生を授かったのだろうか。それは、この世で天命を全うするよう定められたからではないのか。この世で何か成し遂げるべきものがあるからではないか。どこからか神様から、この一個の命を全うせよと言われているのではないか。そのように思うことが出来たなら、人間は生きていけます。私は、一人でも多くの人にそう思って欲しいのです。一人でも多くの人に自信を持って生きてほしいのです。それが出来なければ、一人でも多くの人にただ生きてほしいのです。何をしなくても良いから、ただ生きてほしいのです。それも無理ならば、死なないでほしいのです。私は、この地球上にいる殆どの人の名前も知らなければ顔も知りません。しかし私の胸の中には、何故かは分かりませんが、いつも全ての人の存在が刻まれているように思えます。必要のない人なんていないのです。無駄な人なんていないのです。だから、今苦しんでいる人、悩んでいる人、死にたいと思っている人がいたら、どうか私のために死なないで下さい。どうか私のために生きて下さい。あなたがいなくなってしまったら、私の心は傷つき欠けてしまいます。誰がいなくなっても、私は完全ではないのです。誰がいなくなっても私は悲しいのです。